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こすれ メロス
2023-02-14
※青文字はフィクションです。
飛ばして読んで頂いてけっこうです<(_ _)>
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お客様は激怒した。
遠くから聞こえる「ガランゴロンガラン」という音。
なんと!
駆け寄ると、お客様のアルミホイールのタイヤが、倒れていた。
いつも、バッチリ作業を行うスタッフの、珍しい痛恨のミス。
ディスク面には周上に、無数の擦りキズと打痕キズがついてしまっている。
誠心誠意謝罪をし、アルミホイールを弁償する旨を、お客様へ伝えた。
そんな私の姿を見て、憐れに思ったのか、お客様は怒りを鎮め、
「そこまでしなくていいよ、いつもよくしてもらってるし。補修でこのキズをきれいに直してくれればいいから」と言ってくれた。
お客様の優しさに救われた。
そして、三日間の猶予を頂いた。
早速、耐水ペーパーを使用し、600番→1000番とひたすら磨いていく。
機械は使わない。すべて手作業で行う。効率は悪くても、微妙な力加減、繊細な作業において「手」は最高の工具。
昭和の機械整備工に鍛え上げられた技術とプライド。
なにより、お客様への感謝と誠意を、ホイールに込めたい。
しかし、いつもヒマなのにこういうときに限って来客や出張が多い。
あっというまに二日が経過。残り一日。追い詰められる。
キズも思ったより深い。
耐水ペーパーの1200番→1500番→2000番とさらに磨きを進めていく。
半日こすりにこすって、ようやく、打痕キズはきれいに消えた。
しかしその代償に、指先が赤く変色してヒリヒリ、ズキズキする。
手のひらも痛く、二の腕にも痛みが感じられる。
それでも、信頼して待っていてくれるお客様のことを思えば、なんてこたない。
ピカールを使って、今度は鏡面仕上げをしていく。
輝き始めるアルミホイール。
リフレクションが気持ちいい。
半分くらいにさしかかった時点で、突然全身に疲労が襲ってくる。
ずっとかがんで作業していた為、背中と腰がバッキバキ、膝には激痛が走り、立ち上がることもできぬ。
頭がぼーっとして眩暈がする。
身体疲労すれば、精神もともにやられる。
もう、どうでもいいという、会社人に不似合いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣食った。
見てくれ。
私は、これほど努力したのだ。
当初の目的のキズは消えたんだから、もういいじゃないか。
指は擦り剝け、握力もなくなり、昼飯時には割り箸も満足に持てなかった。
それでも、必死にこすり続けた。
でも、この大事な時に、精も根も尽き果てた。
僕は、お客様に怒られる。
中途半端な仕事をしやがって。あの謝罪は口だけか。
ああ、もう、どうでもいい。
たかが10万円弱だ。新品を弁償してしまえばいいじゃないか。
そもそも、最初から機械を使えばよかったじゃないか。
「昭和の機械整備工に鍛え上げられた」って何を言っている。
手作業なんて、効率も悪いし、頭も悪い。
だいたいおまえ、キズをつけたのは俺じゃない。
ここらで水入りでも十分だろ。
どうとも勝手にするがよい。
やんぬる哉。
経理の女の子が、チョコレートをくれた。
今日は2月14日、バレンタインデー。
チョコレートをひとかけら食べて、熱いコーヒーを一くち飲んだ。
ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。
肉体の疲労回復と共に、わずかながら希望が生まれた。
義務遂行の希望である。
あきらめるな。まだやれる。正気に戻った。
いつだって真摯に、熱心に。
私は、信頼に報いなければならぬ。
こすれ! メロス。
少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も速くこすった。
まだ、陽は沈まぬ。
妥協しない。ひたすら「追いピカール」を続ける。周りの人は「もう十分キレイですよ!」と言う。
いや、まだ陽は沈まぬ。
間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。
私はなんだか、もっと恐ろしく大きいものの為にこすっているのだ。
ついに、ピカールの工程完了。
目が痛くなるほど、光が反射して、眩しい。
中性洗剤→混合ハイトレール→サンジェットと、念入りに洗浄を行い、最後にダメ押しの、ホワイトダイヤモンド仕上げで、ついに完成。
そして、迎えた納品の時。
ホイールと一緒に、新品のブルマジをお詫びと感謝も込めて、一緒に添える。
お客様も大いに喜んでくれた。
「ここまできれいにしてくれると思わなかった。ほんとうにありがとう」
「反対側のホイールもきれいにしてもらおうかな」
すべてが終わり、この一連の出来事を、ホームページの記事にしようとした。
前回のトピックスは、偉そうに、こう締めくくっていた。
「我々はプロなので滅多なことがない限りタイヤを倒すことはないんですけど。」
プロとして、ひどく赤面した。